久しぶりに
今朝突然、Twitterの制限を受けてしまった。ダラダラと無駄にタイムラインを眺めているのは眼にも良くないし時間の無駄ではあるのでTwitterから離れろと言うことかと思うがせっかく馴染んだお気に入りのフォロワーさんのつぶやきを見れなくなるのはちょっと辛いな。
などと思っていたら何故かここの存在を思い出した。
はてなダイアリーの頃はそれこそしょっちゅう日常を綴っていたなあと思い返す。
時々ここに綴るのも良いかなと思う。
今読んでいる3冊。読書停滞中。早く読み切ってしまいたい。停滞してる理由はNetflixですブラックミラーというドラマを観ているから。もうすぐ見終わるのでそうしたら読書に集中しよう。
今日はお天気が良いのでベッドパットと肌掛け布団とシーツを洗って干した。
ショーン・タン「内なる町から来た話」
ショーン・タンの作品を読むのはじめて。岸本佐和子さん訳なので読んでみたいなと思っていたら図書館で発見、借りてきた。
内なる町 架空の想像上の?それだ未来のどこかの街での色々な動物たちと人間たちの物語。描かれている世界は決して明るい世界ではなくて何かが壊されている世界。その中での動物たちは何を表しているのだろう。 SF作品の短編を読んでいるような、実際に短編集でもあるのだろう。他の作品は絵のほうが主体なのかな?今度図書館で探して読んでみたいと思う。
印象に残った話
p71 最初に彼女の目にとまったのは、(猫)
p79君は二歳 (馬)
p91考えてもみてほしい。この街には海がない。(魚)
p147彼らは側溝に、(肺魚)
物語を読み、イラストを見る。描かれたあの世界が自分の中で広がっていく、動いていく。
4月も今日で終わり。あっという間の4月だった。
ワイドショーでコロナで医療が崩壊しててとか外出しないでくださいとかやっていてその後すぐに軽井沢のアウトレットのバーゲンのコマーシャル。なんか矛盾を感じる。けれど長野県には何も出されていないのでお店は普通にやってるしもしも売り上げが減っても保証はない。情報が知りたくてワイドショーを見てしまうけれどワイドショーを見てると本当に確実に気持ちの余裕がどんどん無くなっていくような気がする。よく考えたら一年前もこんな風にてれびのワイドショー毎日見てたなと思い出した。
*映画
*本棚(読了本)
ショーン・タン 「内なる町から来た話」
ゴールデンウィークスタート
ゴールデンウィークのスタート日、とは言え昨年同様今年も緊急事態宣言禍の連休。でもまあ長野県は緊急事態宣言出てないしマンボウもでてないですが気持ちは何か一年前と同じような気持ち。まさか今年もこんな事になっているとは去年は思わなかったな。
午前中、桜の育て方講習会なるのが市内であったので出かけた。小諸八重紅枝垂桜という桜が庭に3本植えてあって多分植えて20年くらい経っているのだけれど結構大きくなり、その桜の下の雑草取りで去年毛虫に刺されて酷い湿疹に悩まされたので桜の木の消毒について聞きたかったのだ。
けれどこちらの講習会が桜の木がたくさん植えられている場所で行うという事でそこに行くのに結構階段があり、まだちょっと階段が心配なので諦めて帰ってきた。直に桜の木のプロに聞きたかったんだけど…
どんどん桜の葉が出てきたので近いうちになんとか消毒をしたいのでネットで調べてやってみるしかないかな。
桜の時期はとても綺麗なんだけど。
※映画
ジョジョラビット
*読んでいた本
ショーン・タン「内なる町から来た話」
アンナ・バーンズ 「ミルクマン」
「ミルクマン」をやっと読んだ。図書館で借りて延長して途中で読まなかったら一日2ページくらいしか読まなかったり。
名もない18歳の少女が主人公でその独白の形で物語が進んでいくけれどとにかく文章が長く延々と語られている感じでそこにうまく乗れたら良いがそうでなければ文面だけつらつらと目で追うだけになりまたもや戻って読み直すということになってしまったりした。
あらすじ等は河出のサイトで詳しく書かれている
衝撃の一文から始まるブッカー賞受賞作『ミルクマン』。謎の牛乳配達人はテロリストなのか?|Web河出
アイルランドのこと、なんとなく薄ぼんやりと思い浮かべてみたりするがあまりわかっていない。この置かれている状況に関しては訳者の方の後書きで説明されている。と共に作者のアンナ・パーンズの言葉も載せられている
だがバーンズ自身は『ミルクマン』の舞台が北アイルランド問題で疲弊するベルファストであることを何度か否定している。たとえば『ガーディアン』紙では、設定を北アイルランドに限定せず、抑圧的な条件下にある、全体主義的で閉鎖的な社会であれば、どこででも起こりうる物語として読んでほしい、と語った。(二〇一八年十月十七日、バーンズへのインタビューより)
p385 訳者あとがき
確かにこの物語の中に流れる空気は抑圧されていて閉鎖的でそしてお互いがお互いを監視する様な社会だ。そしてそこからはみ出たものは変人として弾き出される。その個性的な様々な変人さんもこの物語の魅力をあげている。
そんな社会の中で生きている一人の18歳の女の子、この生きにくさの中で自分は自分であることとして生きている姿が描かれている。彼女の味方になって寄り添ってくれる人はいるのだろうか。心を頼みにしているメイビーBF。彼との関係の結末はちょっと衝撃だった。
こんな社会の中に生きていれば誰もが少しずつおかしくなってしまうのではないだろうか。だってすぐ隣に裏切りと死があるのだから。
最後に少しだけ彼女は息苦しさから解放される。この先がどんな風になるのかは分からないが。
そして ミルクマン という人物は一体どの様な存在、意味を持たせてあるんだろうと考える。
この物語で一番好きな場面はフランス語の授業で夕焼けを見る場面。そこは本当に唯一?ロマンティックな場面だった。
*映画
朝が来る
*本棚(読了本)
アンナ・バーンズ 「ミルクマン」
古井由吉「私のエッセイズム」
古井由吉本をちゃんと一撮読み切りましたよ。それにちゃんと図書館の返却日に返却(笑)
今まで何回かトライしては途中ですが挫折していた古井由吉。あと、何回かトライしたけど読めない人がいてそれは大江健三郎。もう、大江は諦めました。
古井由吉は多分保坂さんが(保坂和志)著書か何かで古井由吉の事を書いていてそれで興味が出て「白暗淵」を買い、読み始めたのですが、短編集にもかぎらす早々と挫折。何か濃い霧の中に迷い込んだ様な気分になってしまってだめだーったなってしまった。
その後又吉直樹のフェイバリット作家と言うのが話題にもなり「杳子」こちらも途中まで読んでそのままうやむやになってしまった。
ちゃんと読みたいと思いながらも苦手意識がついてしまった古井由吉。この間見た菊地信義の映画で菊池さんが古井由吉作品を装丁しているのを観て衝動的に「雨の裾」わ、買ってしまったけれどこちらはまだ読んでいない。 そんな時に図書館でこちら「私のエッセイズム」を新刊コーナーで見つけてしまった。しかも監修が堀江先生(堀江敏幸)ではないか。
初期から晩年まで書かれたエッセイのなかから、古井由吉の文學の核心を照らし出す作品を選び、「小説」からだけでは窺い知ることのできない、氏独持の「エッセイズム」の展開をたどることを目指して編まれている。
p317解題 古井由吉のエッセイズム 築地正明
五章に分かれていて
〈I〉作家としての思索と生
〈II〉山
〈III〉戦争・厄災
〈IV〉文学・言葉
〈V〉ドイツ文学
最初、作家としての思索と生の章を読み始めてやはり自分には難解でまたもや道に迷うかと思いながらも読み進めていく。著者の幼い頃の戦争体験が(主に空襲の思い出)や、若い頃の入院の話などになるとぐっと読みやすくなって、あっ、道が見えてきたと言う感じだった。後半のドイツ文学はまたちょっと難解になってきたが、この章のカフカについて書かれたエッセイは面白くてカフカを読みたくなった。後、ブロッホも興味が湧いたけれど岩波文庫とかに入ってなかった。
いいなと思ったエッセイは他に「埋もれた歳月」と言う作品。戸越銀座の不発爆弾、民家の床下に長い間隠されて放置されていたラジウムから発せられる放射線。その上で何年間も知らずに日々を過ごしてきた人々。そこから話しはドイツ人作家、ヨハン・ヘーベル作「埋もれた歳月」と言う小説に移っていき、このお話がとても良かった。若い坑夫が鉱山に入って事故にあいそのまま遺体があがらず、何年も経って発見される。発見された坑夫は鉱水に浸かっていたのでその時の姿のままだ。
村にはその許婚者が操を守って生きていて、杖にすがりやって来ると、すぐに見分けて、老女が青年を抱きしめる。悲痛よりは喜びに輝いて、とある。
ー 大地はひとたび返したものを闇の中に留め置くようなことはしません
p168 「埋もれた歳月」
堀江先生の解説は解説なんだけれどけっこう難しい。古井作品に流れる時間のこと、生者と死者、個と群れ、静まり、境界線、エイッセイと小説。気になる言葉を書き出したがちゃんと理解できたとは全く言えない。
それでもこの様な言葉をいったん自分の頭のどこかに置いて、さて古井由吉の小説に再トライしてみようかなと思う。
ところで今日4月23日は「サンジョルディの日」本を贈る日って言われて一時本屋さんでフェアみたいのやってましたよね。なんだかいつの間にか無くなってしまった様な。それとも今でもやってるんだろうか?
*本棚(読了本)
古井由吉「私のエッセイズム」
土曜日の吉本新喜劇
先日、チャーリー浜さんが亡くなられた。Twitterで知った。多分ある程度の年代以上の関西人にとってはショックだったのではないだろうか。生まれも育ちも長野県人である家人に伝えたら誰だっけ?とすぐには思い浮かばない様子。ニュースで訃報が流れてやっとなんとなーく知ってるかもってって思ったらしい。
私の小学校時代、土曜日は反日学校があった。学校から帰ってきてお昼、吉本新喜劇をやっていた。あのなんとも言えないゆるーい時間。木村進、間寛平、岡八郎、花紀京、原哲男、船場太郎、池乃めだか、桑原和男。
あ〜懐かしい!
いやいやいや、古すぎるでしょう。
古すぎるんだけど、それと言うのも結婚した長野県に来てしまったので最近のメンバーを知らないのです。何年か前に帰省した時に母と妹と甥っ子たちと新喜劇を見に行ったことがあるんだけど全然知ってる人が出てこなかった。たしか辻本茂雄さんが出ていたと思うが辻本さんも知らなかった。
さっきあげた昔のメンバーでもう亡くなられた方もいて、今回チャーリー浜さんも亡くなられてなんだか寂しい。
けれどもあの時代の新喜劇しか見ていないのだ未だに実家に帰って帰ってテレビをつければあの当時のメンバーでやっている新喜劇がテレビでやっている気になってしまう。
体調の方は80パーセントくらい回復。なので午前中、ハンドベルの練習に出かけた。練習後またもやランチに出かけた。今日はそんなに長々といなくきっかけを掴んでじゃあそろそろ帰ろうか、となった。 大阪や東京だとこんな風にランチしてゆっくりなんてムードではないだろう。もうちょっと気を引き締めないとと思ってしまう。
帰って花壇を見たら忘れな草がくたーっとなっていた。日中暑かったせい?それとも水不足?なんだか日替わりで植えた植物がくたーっとなってしまう。
びくともせずに元気なのは雑草ばかり。
*映画
デッド・ドント・ダイ
wowwowて録画した間「デッド・ドント・ダイ」を観る。ジム・ジャームッシュ監督、アダムドライバーが出てるので観たい観たいと思ってた作品。
アマプラでレンタルしょうかと思っていたのでW座でやってくれてラッキーだった。感想はこちら
デッド・ドント・ダイのkankoの映画レビュー・感想・評価 | Filmarks映画
これはwowwowで観てちょうどよかったのではないでしょうか笑
*読んでいた本
古井由吉「私のエッセイズム」
胃炎で寝込む
三日ほど胃炎で寝込んでしまい日記を書く気力が起きず。日曜の夜中にキラキラと痛みだし薬を飲んだけれど治らず、背中も痛くてベットで眠れず、ソファで座りながら七転八倒、朝になっても治らず、結局嘔吐してなんとか痛みが薄れました。胃痛持ちなのでこのキリキリとした痛みは何度も経験しているけれど最近治るまでの時間が長くなっている様な気がする。以前は胃薬を飲んで2時間位で治っていたのに。
実は入院中一度なって夜中に痛くて冷や汗をかき、何度もトイレに行って吐こうとしたけれど吐けず、ナースステーションに胃薬をもらいに行ったっけ。5ヶ月ぶりの胃痛。もしかしたらウイルス性のものかもしれないので(二年前になって1週間くらい寝込みました)家人にはリビングのソファで寝てもらった。
セブンのプリンとポカリスエットしか受け付けず、でも昨夜の夜から何となく調子が良くなってきたのでうどんを食べたり、今日はもう大丈夫と買い物などに出かけたらやっぱり調子が良くない。で、午後はまたも寝ております。
今読んでいるのは古井由吉「私のエッセイズム」堀江敏幸監修なので図書館で借りました。由吉先生の作品は何度も途中で挫折しています。自分にとっては難しくて読んでいるんだけど霧の中にいるみたいでうまく掴むことができない。さてこの本は読み切れるだろうか。
「ミルクマン」は猶予ができたので先延ばししてしまっている(ダメじゃん)
寝てるんだから本でも読めばと思うけれど調子が悪いと中々読書欲も湧かないですね。
*読んでいる本
古井由吉「私のエッセイズム」