戯言スクラップブック

また日記を書き始めました。読んだ本や聴いた音楽など CD棚 https://kankoto.hatenadiary.jp/ 

岸政彦 柴崎友香 「大阪」

f:id:kankoto:20210303091019j:image

 

流石に昨日は夜中の3時から起きていたので眠れた。眠れるってなんて気持ちがいいんだろう。

boidマガジンの井出健介さんの「ぽつねん」が更新されていたので読んだ。マッサージ学校に通い、資格を取り、マッサージ師になって働いた事など。

 

忘れてはいけないと思いグレイプバインの4月の野音のライブのファンクラブ先行に申し込む。

果たして行けるのだろうか。コロナの状態がどうなっているか一番大きいが自分の足が野音までの交通機関、乗り換えから地下鉄の階段など耐えられるのか疑問だ。疑問だけれどせっかくの野外だし行きたいと切に思う。でもまあチケットが果たして取れるのかどうかが1番の問題だけれど。

 

昼頃から雨が降り出して午後はザーっと音がするくらい降った。カラカラに乾いていたので良かった。茶色く枯れた様になっている宿根草達果たして生きてるのかどうか。

 

岸政彦 柴崎友香「大阪」を読む。

もう、まず目に飛び込んでくる表紙、中の絵にたまらなく惹かれる。小川雅章さんという方の絵でその人のサイトを探して見てみると本当に凄い。なんとも言えない気分になる。この本の中の木津川駅の絵とかたまらない。

 

「大阪とは何だろうか。大阪を書く、ということはどういうことだろうか、なにをすれば、大阪を書いたことになるのだろう」p7

 

一般にテレビなどで印象づけられている大阪とは違う大阪が描かれていてああそうだよなと思う。

帯に「大阪に来た人、大阪を出た人」と書かれていてこれは岸さんと柴崎さんのことなのだろう。

自分は堺に生まれて枚方で幼稚園まで過ごしたけれど小学校から結婚するまでは奈良に住んでいたので育った場所はやっぱり奈良だし出身はと聞かれたら奈良と答えるだろう。大阪は行く場所だった。けれどこのお二方の文章を読んでいると自分の大阪での存在と重ねてしまう。自分の中にも確かに存在していた大阪と。

岸さんの文章は初めて読んだけれど大阪の空気がぐっと伝わってきてノスタルジックにもなり切なくもなってしまう。

「私はこの小さな作品のなかで、あの大阪の「左半分」の埋め立て地特有の、すこし寂しく、静かで、だだっ広い感じを書きたかった。」p8

この文章は岸さんが「ビニール傘」と言う短編作品のことを語っているけれど、かな「大阪」にもこの空気が流れている。

 

自分な知っている風景や記憶、妹が住んでいる帝塚山路面電車。柴崎さんの思い出。ルーズリーフに鉛筆で漫画を描いて回覧、なんてまさしく中学時代の自分がやっていたこと。そして梅田の大毎地下が出てきて驚いた。あそこの会員になって短大時代ひとりで出かけたなあ。

 

岸さんの「淀川の自由」での阪急百貨店で置き去りにされた子供、1958年の新聞の記事は印象的なだった。物凄く小さい頃にたまに親に連れられて天王寺近鉄に行った。あの駅から近鉄への陸橋の上では敷物に座って物乞いをしていた戦争で手や足を失った人が居た。

「散歩は終わらない」Googleマップで知らない街に行きスナックを検索するのも良かった。

 

「大阪と大阪、東京とそれ以外」の柴崎さんのp194からの文章、80年代、90年代を懐かしんでいるだけではない、今現在のこの社会のダメさ加減への憤りがとても迫ってくる。

 

長々と書き過ぎてしまったな。それだけでこの本で自分の中の「大阪」と言うものを感じさせられてしまったのだろう。

 

新潮のリレー日記。12月、とうとう最終月。

12月2日〜12月8日 坂本龍一

12月9日〜12月15日 青葉市子

12月16日〜12月22日 川上弘美

12月23日〜12月31日 蓮實重彦

 

青葉さんの日記がすごく良くてたくさんボールペンで囲った。

「いまが思い出に変わるとき、いまよりも一回り輝きを増して胸に仕舞われていくこの世の魔法のことを、愛しく想った」 12月15日 青葉市子

川上さんの日記も良かったな。

日記って不思議だな。やっぱり人間が出てしまうものかもしれない。何かしら生活も滲んでいる。

 

*映画

30年後の同窓会

 

※読了本

岸政彦 柴崎友香「大阪」

*読んでいた本

新潮3月号

寺田寅彦 中谷宇吉郎 「どんぐり」

川原真由美「山とあめ玉と絵具箱」

 

f:id:kankoto:20210303100415j:image