老後の楽しみ
一日「ミルクマン」。返却日が決まっているので。とは言えどうしても集中できず、ワイドショーなんかを見てしまう。圭さんの話題。もうどうでもいいのでは。親の問題なのだから普通に結婚させてあげれば良いのに国民という外野があれやからやと。と思いながら見ている自分も国民という名の外野。
ぐっと集中して本を読みたい。しかし年々集中力というものが低下している気がする。そして自宅と言うものは案外集中して本を読むのには向かないものかもしれない。
たくさんの人が書いていると思うけど一番本を読んだのって大学時代の通学の電車だった。単線の生駒線と言うのにことことと揺られながらする読書は良かったな。就職してからは激混みの通勤列車だったので中々本を開くと言うところまでは行かなかった。そんな中折り畳んだ新聞を器用に読むサラリーマンのおじさんはすごいと思った。
しかしこれもひと昔の風景だ。だいたい電車で本を読んでいる人なんかいない。大体がスマホの画面を見ている時代。
集中力うんぬんもあるけれど目の問題もある目の調子が悪くなって一気に読書に対して焦りが出てきてしまった。今いくつだからもしもいくつまでしか生きられないとしたら一体家にある積読本を全部読むことができるのだろうか?と言う気持ち。
いつか書いたかもしれないけれど小学館の「昭和文学全集」を老後はゆっくりちびちび読むと言うのも老後の楽しみに取っておいてある。けれど小さな字の三段組。これは歳をとったらますます読破するのは難しいのではないだろうか。
他にもパッチワークもカメラも目が悪くなったら出来ないことだ。
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で出てくる主人公のリタイヤした後の密かな楽しみギリシャ語とチェロを習いながらのんびり暮らすと言う夢も叶わなかったではないか。
やっぱりやりたいと思った事は思った時にやらないと。 と思うとますます焦りにも似た気持ちになってしまうのである。
*読んでいた本
アンナ・バーンズ「ミルクマン」