坪内祐三「文庫本千秋楽」
朝、映画を1本見た後は一日中ひたすら坪内祐三「文庫本千秋楽」を読んでいた。坪内祐三は評論家、エッセイストであるけれど自分の中ではただただツボちゃんと言うイメージだ。本の雑誌でツボちゃんと呼ばれていたからだろうか。特に熱心な読者ではなかったけれど割と身近な存在のようなそんな気持ちになっていた。
でも最初に知ったのは神蔵美子の「たまもの」だったかもしれない。昔、バスで上京した時にいつも寄っていた池袋パルコにあった本屋さんで「たまもの」が置いてあってそれを立ち読みして知ったのだ(文庫本になってから買った) 著者の神蔵さんのその時の夫が坪内祐三で不倫の相手が末井昭でその3人の関係が写真も伴って書かれていてちょっとショッキングだった。
話が逸れてしまいました。
なんだかいつでも本の雑誌や他の雑誌で読めると思ってたツボちゃんは昨年当然亡くなられた。
この本はそんなツボちゃんが長年文春に連載してきた2016年から2020年の1月23日号までの「文庫本を狙え!」と本の雑誌社「おすすめ文庫王国」1990年から20年にわたって「年間文庫番」が一冊にされている。
まず、文春に連載された方の文庫本の書評、あれも読んでみたい、これも読んでみたいと読んでみたい文庫本のところに付箋を貼っていったらまるでこの本から生えた雑草のようにもこもこになってしまった。紹介された170冊の内多分持っているのはいい5冊にもならないであろう。印をつけた読みたい本を数えたら27冊になってしまった。
後半の「年間文庫番」はその年に出された文庫本についてを振り返る内容になっているのだけれどこちらはああそうだなと思うようなそんなしみじみ思う文章もあったりする。少しメモしてみたい。
1990年
極端なことを言ってしまえば、私が楽しみにしているのは、岩波文庫とちくま学芸文庫と講談社文芸文庫ぐらい。
それとちくま文庫と中公文庫にちょこちょこ面白いものが混じっている。
p390
基本的に単行本そのままの内容を文庫本におとしなおしたものは紹介されていない。
2002年
内田百間ミニブームへの批判(笑)
大西巨人の「神聖喜劇」が取り上げられていて嬉しかった。全巻買ったけれど見事な積読状態(汗)
2005年
渋谷旭屋の文庫本売り場の、新刊の並べ方は理想的だった。
「週刊文春」で「文庫本を狙え!」を連載している私は、毎週のように渋谷旭屋の文庫本コーナーに足を運んだけれど、それは単なる職業的な義務ではなく、本当にそれが楽しかった。
例えば私はミステリーや冒険小説を殆ど読まない人間なのに、渋谷旭屋書店で眺めるハヤカワ文庫や創元文庫は、とても魅力的に見えたのだ(実際買ったりもした)。
本屋というのは私にとって都市の一つの日常風景であり、今や、そういう都市性が崩壊しつつあるのかもしれない。そのことに私は脅えているのだ。
2009年
三冊の吉行淳之介のエッセイ集は、
まったくの新刊だった
p470 見出し
このエッセイ集をAmazonで見たら表紙がめちゃくちゃ好みだった。確か「街角の煙草屋までの旅」は持っていると思う。他の2冊も欲しいけれどもう絶版なのだろうか?古書の値段がめちゃくちゃ高くなっている。
2017年
p514 見出し
こちらのシリーズも集めたくなってしまう。
2019年
かつて町に書店がたくさんあった。
私の住んでいた世田谷区赤堤の最寄り駅である世田谷線松原の小さな商店街にも駅前に松原書房という本屋があった。
岩波文庫はなかったものの(ただし岩波新書はあった)、新潮文庫はズラリと揃っていた。
国語の教科書で興味を持った作家の文庫本を購入し心が救済された。
購入しなくても、どんな作家がどんな作品を書いていたのかを憶えた。
その点で新潮文庫は色ごとに作家を別けていた(例えば太宰治は黒で谷崎潤一郎は赤といった具合に)からとてもわかりやすく、近現代日本文学史が体の中に入っていった。
本屋はそういう意味がある(文学と出会える)場所だったのだ。
p528
そして最後の年2020年
その点で今年(二〇一八年十月からの一年分)は楽だった。
岩波文庫の「東京百年物語」全三巻を取り上げれば良いのだから。
p534
この東京百年物語は三巻目だけ持っている。
この本のタイトル、「文庫本千秋楽」相撲が好きだったツボちゃん、千秋楽という題名はどなたがつけたものだろう。ぴったりだなと思いながらも寂しい。ツボちゃんを失うことはまたひとり本の面白い話を書いてくれる人を失ったということだなとあらためて思う。
*映画
15年後のラブソング
*本棚(読了本)
坪内祐三「文庫本千秋楽」