穂村弘 「あの人と短歌」
今日で3月も終わり。3月も早かった。本当にあっという間だった。暖かくお天気も良い日が多かったので(何故か日曜日は雨が多かったけど)庭の草花の芽吹きがぐんぐんと進んだ。梅が咲いて水仙も咲き出した。雑草であるタンポポも伸びてきたをたんぽぽお花は可愛いがそのあとはひたすら雑草という感じになるので困る。
読書がこのところ進まず、たくさん借りた本の貸出期間も半分が過ぎてしまったので今日は読書を優先する。穂村弘の「あの人と短歌」を読み終わる。
この本は「NHK短歌」に連載されていた「穂村弘 対して談じる」をまとめたものだ。16人の様々人との対談。
北村薫 酒井順子 三浦しをん 清家雪子 高原英理 知花くらら 金原瑞人 文月悠光 鳥居 朝吹真理子 小澤實 保坂正康 里中満智子 吉澤嘉代子 名久井直子 俵万智
同じ歌人は俵万智さんだけで後は文筆家でも違うジャンルの方が多い。それぞれの人によってその人なりの短歌に関する引き出しを穂村さんの会話によって引き出されていく感じで読んでいて楽しかった。短歌に関して全く知らない自分でもわかりやすく、そしてゲストが好きとあげられる短歌が読んでいて新鮮だった。
今の短歌って殆どが形にはまらない口語短歌なんだなと驚く。自分がもっと若い時はそうではなかったと思う。その話も何回か出てくる。
それでも短歌という形式を用いることの面白さが伝わってきた。
どの対談もなんとなく穏やかにほんわりしている気がしたが俳人である小澤さんの回は歌人と俳人、底の方で少しやり合ってる感があり面白い。
そして興味深かった回は朝吹真理子さんで韻文的と言うこと、音の響き、文章のリズム 言葉の多義性 の話。
穂村 言葉の多義性を抑えたほうが、リーダービリティは高くなりますよね。言葉の意味の分岐が少ないわけだから、読者も迷わない。エンタメ小説の文体がまさにそれで、いわば、現実の似姿を目指すわけです。でも、韻文やその感受性を持った純文学小説では、むしろ多義性こそが大事です。つまり、似姿のトレースは拒否すべきものになる。今みんなが現実だと思っているものを覆そうとするという意味においては、韻文は無意識の革命かもしれません。朝吹さんもまた、そうした作家の一人に思えるんです。
p152 穂村弘「あの人と短歌」
それにしてもホムホムはずるい。あんなカバー写真(笑) ある種のあざとさをいつも感じてしまう(良い意味で) ダメな僕を出しながら全然ダメじゃないですからね。漫画家の清家さんに自分を描いたイラストを手渡されて「わ!かわいい.....感激です。」って言葉、まさしく乙女男子。
夕ご飯、豆苗とチーズを紫蘇の葉と豚バラで巻き、レンジでチン。ポン酢にニンニクすりおろしと胡麻を入れたタレをかけて食べる。それにしてもこの料理、いつもチーズが溶けすぎて失敗する。
*本棚(読了本)
穂村弘「あの人と短歌」
*読んでいた本
坪内祐三「文庫本千秋楽」