庄野潤三「世をへだてて」
朝、ベットの中で庄野潤三「世をへだてて」を読み終わる。のんびり少しずつ読んでいたので時間がかかってしまった。帯には笑顔の庄野さんの写真が載っている。
でも実はきちんと庄野作品を読むのはじめてだったりする。文庫本とかいそいそと買っていたがどれも積読状態だったのだ。
昔から読む機会はあったはずなのに他の第三の新人とはどこか違う場所にいるような気がしていた。
今回の作品は64歳の時に作家が脳内出血で倒れ入院した時の闘病記だ。倒れた直後や重病期はもちろん本人は記憶がなくて娘さんなど家族から後から聞いた内容になっている。その事は解説で島田潤一郎さんが書かれている。
ここで重要なのは、作家が子どもの目をとおして自分を発見するということだ。
p206 解説 島田潤一郎
島田さんの解説が良くて解説を読む事で何かよりこの作品の事が身近に思えてきた。
この闘病記を読みながら、けれどもあまりしんどい描写がなくてなんとなくのんびりとしていて(状況は大変ではあるのだけれど)どうしても自分の入院生活と照らし合わせて読んでしまった。
特に「大部屋の人たち」と「同室の人」は相部屋で一緒になった人達のことが描かれていてなんとなくほんわりとしてしまう。まるで自分も同室で過ごしたかなような気持ちにさえなってしまう。そして自分が一緒に過ごした同室の人たちを思い浮かべたりする。
励ましてくれた森林公園の管理人の人、綺麗好きな林さん、車椅子の達人吉岡さん、ベットでこっそりタバコを吸う金内さん。それから同室ではないけれどアメリカ人のヘンリーさん。良くもこんなに細かく職業や名前が書かれているな、今だったらプライバシーうんぬんで書けないなのかなとちょっぴり思う。
重症室で一緒になった泣きばあさんの話しはじんわりと来た。
重症室で私が一しょになった「泣きたばあさん」の立てる声は、溜息と泣き声を一社にしたようなおとなしい声だが、どことなく芸術的なといいたいうまみがあり、どうしてこんな病気になってしまったんだろう、お互いに運が悪かったんだなあと、いいたくなった。私は虎の門病院分院へ行って四人部屋で寝るようになったが、夜、眠れないときなど、重症室で一しょだったこの泣きばあさんを思い出して懐かしくなり、その声を真似して出してみたくなったことがある。
p114 「大部屋の人たち」
病院での眠れなかった夜を思い出してしまった。
初めて坂道を下って図書館まで行ってみた。今まで平坦な道は歩いていたが主治医の先生が坂道も練習してくださいと許しが出たのでお天気も良いし早速練習。やはり怖いので装具をつけて杖も持参。なんとかいって帰って来れて大丈夫だった。とともにやっぱり体力ないなとおもった。歩く力つけていかなくては。
本当に久しぶりの図書館でいい本があったら1、2冊借りようかなと思ったいたのに8冊も借りてしまった。しかも新刊コーナーのばかりなので3週間で返さねばならない。読めるだろうか…
*映画
ブラック・クランズマン
*本棚 (読了本)
庄野潤三「世をへだてて」
*読んでいた本
朝吹真理子「だいちょうことばめぐり」
島田潤一郎「本屋さんしか行きたいところがない」