戯言スクラップブック

また日記を書き始めました。読んだ本や聴いた音楽など CD棚 https://kankoto.hatenadiary.jp/ 

島守

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ネットフリックスで「ザ・クラウン」と言うエリザベス女王を描いたドラマを見始めたら面白くて6話までダラダラと観てしまう。ん?これって何話まであるの?と思い見たらシーズン1だけで10話あった。そしてシーズン4まであった(驚) 一気見するのは無理そうだ。 

 

午後に雨が降ってちょっと疲れたのでベットに仰向けに寝転がって雨の音を聞く。夜の雨と違って歩く人の話し声や(高校生?)や車の走る音が混じる。何か歌いながら歩く人の声が聞こえて来て少し驚いた。

 

そのうちに気持ちが落ちていってしまった。なんだかもう自分は二度と元の生活に戻れないような気がする。もう、上手く人と話すことが出来ないんじゃないかとさえ思う。足首がうまく曲がらなくてしゃがまなかったり、目の事や、一年前までは普通にやれていた自然の中に出かけていって写真を撮ることや、都内に出かけていって音楽や、美術展や写真展や、街そのものを楽しむ事。そんな事はもう出来ないのかなと想ってしまった。

 

それでふと頭の中に思い出された短編があった。一人島で孤独に暮らす人の事を綴った短編。作者も忘れてしまっていた。でも新潮文庫の「日本文学100年の名作」シリーズの何処かの巻の一番初めに納められていた事だけは覚えていた。

それは第2巻「幸福の持参者」の中の中勘助「島守」だった。自分の落ちた気持ちとその話を同期させるように読み直してみた。

だけどまあそれは全然違った。この中の彼は孤独をむしろ愛していた。今日の自分は孤独であるこの状態を憐んでいる。

 

記憶とは不思議な物だ。自分の中の「島守」の主人公は枯れたような老人で、彼が仙人のように世捨て人のように島で暮らす話だと作り替えられていた。実際は中勘助自身の経験からなる話でこの物語の中ではなんと20代なのだ。都会でのいろんな事に疲れてこの島にやって来たようだ。文章の中に飯綱や、黒姫、白根おろしなど馴染みのある地名が出て来て巻末の読みどころを見るとやはり野尻湖に浮かぶ島での事のようだ。日記のように書かれていて

明治四十四年九月二十三日から十月十七日までの日々が描かれている。案外短かったんだと思ったが北信地方で一人島で暮らすと言うのは無理だろう。極寒だろうし雪もたくさん降るだろう。

木々を拾い、火を立てつましいものを食べ、湖で洗いと言う暮らしの中で自然な美しさや不思議な体験など読んでいると気持ちが落ち着く。この当時の野尻湖と今の野尻湖では多分風景も変わっているだろうけれど野尻湖には何度かいったことがあるのでその湖面を思い浮かべてみる。生きてる証を表す毎夜灯される燈明。

 なにをするともなく夕がたになった。きょうは夜になるのが寂しい。その夜の闇のなかにひとつぶの春の光をとめておくような気もちで島の脊を燈明をともしにゆく。落葉の音や木立にひびく自分の足音をききながら石段をおり燈明をともしてなにということもなく眺めている。燈明の影が水にうつる。その水底に幾年となく落ちかさなった枝、そのうえを小さな魚の子のゆくのが透いてみえる。彼らはまことに天から生みおとされたかのように処を得がおである。きょうは曇。飯綱にも黒姫にも炭焼きの煙がたつ。煙が裾曳くのは山嵐であろう。

  日本文学100年の名作第2巻 p17 中勘助「島守」

 

この日本文学100年の名作シリーズは珍しくきちんと本棚に並べられていたが4巻だけがない。多分4巻までは読んできて途中で読むのを辞めしまったようだ。読みかけのままどこかに置いてしまったみたいで残念だ。この2巻、一度読んだけれどせっかくなので再読しようと思う。梶井基次郎Kの昇天」や林芙美子「風琴と魚の町」上林暁「薔薇盗人」が入っていて読み返したくなってしまった。

 

*読んでいた本

MONKEY vol.23

庄野潤三「世をへだてて」

日本文学100年の名作第2巻「幸福の持参者」