主役でもあり、脇役でもあり
「麒麟がくる」何終わってしまった。ここ数年の大河では一番良かったと思う。「真田丸」も良かったけれど人と人が対峙する熱量が終盤に近づくにつれて大きくなってきて毎回食い入るように見た。
オリジナルの登場人物のお駒さんの恋物語的な回が何回もあって、それもまあいいんだけどこれじゃあなんだか明智光秀じゃなくお駒さんが主人声の物語みたいだなと何回も思ってしまった。
そう思うと今回の大河は主人公以外の人物がまるで主人公のように描かれている回が何回もあってそれは道三しかり、義昭しかり、そして信長しかり。
明智光秀と言う人物がそうさせているのか、横にいて常に見守る立場の光秀と言う印象が強い。様々な人の脇役であったんだなとも思う。
そんなことを色々考えていると自分は自分にとっては主役だけれど他の人にとっては自分は脇役なんだなと思った。当たり前のことをだけれど。
終わり方は良かったですね。秀吉にうたれる姿は見たくないなと思っていたから。そして希望につながるような終わり方も自分は良かった。
番外編、あるだろうか?観たいけれどもし満足いくものじゃなかったら観たくない。この熱量のままの番外編を希望。
今日は「ある画家の数奇な運命」という映画を午後に観たんだけれど、これが3時間の映画だった。3時間てやっぱり長い…午後の時間がごっそり飛んだような(笑) 余裕のある時じゃなければ観れないなと思った。覚悟がいりますよね。
*映画
フォーリング少女たちのめざめ
A.I
ある画家の数奇な運命
*読んでいた本
柿内正午「プルーストを読む生活」
*音楽
Anna B Savage「A Common Turn」