えんぜる
この間、埋火の見汐さんが八木重吉の事をつぶやかれていて、ああ私も八木重吉の詩が大好きだったと思い出した。
中学の時に買った詩集を家中あちこち探したけれど見つからなくて、どうしても読みたくなってアマゾンでちくま文庫の「八木重吉全詩集」を注文してしまった。中学の時に買った詩集は弥生書房の世界の詩シリーズの1冊で、近所の本屋さんで売ってたはずと探しにいったけど、ああそれは、閉店してしまった本屋さんだったと思い出す。ちくま文庫にあるかもと探したのだけれど見当たらず、結局アマゾンの古書店で注文した。
本が届いて読んでるとぐんぐんと、この詩もこの詩も記憶の中から蘇ってくる。なにがきっかけで14歳の自分が八木重吉に出会ったのか忘れてしまったけれど物凄く好きになって繰り返し読んでいたのだった。どこか行く時には必ずもって行ってた。自分が最初に夢中になった詩人だった。その後谷川俊太郎や立原道造や三好達治や金子光晴や黒田三郎とどんどん好きな詩人が増えるにしたがって多分平易な言葉で書かれた八木重吉の詩から他の世界に移っていったんだと思う。
ああ、この詩、あ、これ!と好きな詩にしるしを付けたくなる衝動にかられて、あ、そう言えば中学生の時お気に入りの詩にしるしを付けていたと思い出して笑ってしまった。なんだまったく変わらないなあ自分て(笑)
彼が29歳で若くして結核で亡くなってしまったことや彼の愛する子供たちも同じ病で若くして亡くなってしまった事や、残された妻の登美子さんはどんなに悲しかっただろうとか、14歳の自分が息が詰まるように思った事も思い出された。
それにしても・・・・なんてみずみずしいんだろう、美しいんだろう、その思いに満たされながらもその中にうっすらと悲しみもある。そして時々ドキッとさせられる詩がある。外側から自分を見ている視線、「植木屋」だとか。そしてひとりきりという孤独「ああちゃん!」だとか。
一番好きなのは「花になりたい」というたった2行の詩。
えんぜるが舞い降りてきます。
この「花になりたい」と「光」と言う詩が山岸涼子の「メタモルフォシス伝」に出てきて嬉しかったな、などとまたふと思い出した。「メタモルフォシス伝」もたぶん絶対家のどこかにあるはずなんだけど・・・・。