赤木かん子編 「日本語ということば (Little Selectionsあなたのための小さな物語)」
JOJO広重さんがブログやツイッターで紹介されているのを見て読んでみたいなと思いアマゾンに注文した本。今読んでいる本を読み終わってから読もうと思っていたけれど届いた日に我慢できなくなって最後の「「あまえる」ということについて」を読んでしまった。この本には橋本治や丸谷才一などの文章も載っているんだけれどこの「「あまえる」ということについて」は中村咲紀さんという小学2年生の女の子が書いた文章だ。前半は宮沢賢治の「セロひきのゴーシュ」を読んでの感想文みたいな形になっていてこの部分を読んだ時もその読み方にとてもびっくりさせられたけれど(小学2年生の子がこんなに深く読んでいると言う事に)しかし後半の方の幼稚園の時の話の部分からはこちらの心を深くえぐりとるようなそんな気持ちにさせられた。
小さな幼稚園に通っているような子供にも大人とかわらない「こころ」があるということ。そこに思いあたった事にたぶん衝撃を受けたんだと思う。私は彼女の幼稚園時代の先生と同じ様な見方しか小さい子にたいしてして来なかったじゃないだろうか。子供とは単純なものと思い込んでいた部分があったと思う。
そしてこの彼女のしんどい気持ち、解放されて自分自身になれたときの開放感、嬉しい気持ち、これは大人だって同じことだなと思った。「心の中にある変なもの」これがあることを意識しつつ黙認してないようなふりをしていきてるような気がする。つきつめていくとしんどいから。「本当の自分」、「人にあまえるということ」本当にこの文章で色々と教えられる部分があったし、そうはすぐに自分を解放することも出来ないなあとも思う。でも自分の中にこの女の子の書いた作文はずっと残っているだろうなと思った。そして自分に問いかけるだろう。
届いた日に「「あまえる」ということについて」をすぐに読んでそれから最初から順に読んでいった。橋本治さんや丸谷さんの言葉そのものに対する文章はちょっと苦手だった。多分もっとじっくり細かく読んでいくと面白いんだと思うけど。やはりいいなと思ったのは久世光彦さんの「私立向田図書館」。やっぱりうまいなあいいなあとしみじみとしてしまった。
天から降ってきたみたいに文学賞を貰って、なんだか足元の水がざわざわと騒ぎ立ちはじめて、これを鎮めるためには読まなければいけない。切実な顔だった。目もいつもみたいに笑っていなかった。私も、別に賞を貰ったわけでもないのに、そんな気持ちになっていた。胸の中の空洞がふいごのように音をたてて鳴っていた。
それからまた最後の「「あまえる」ということについて」まできてそれから宮沢賢治の本をひっぱりだしてきて「セロひきのゴーシュ」を読んでみた。いままで何回か読んでいたけれどさらっとしか読んでなかったんだなと思った。宮沢賢治の文章がそんなに感情的な文章じゃないからこちらもけっこうするっと読んでしまう。もちろんそれだっていいんじゃないかなとも思う。そしてじっくりと考えて読むのもいいと思う。
「きせき」とはこんな風に本と出会ったり、音楽と出会うことなんじゃないのかな。
日本語ということば (Little Selectionsあなたのための小さな物語)
- 作者: 赤木かん子
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2002/05
- メディア: 単行本
- 購入: 6人 クリック: 187回
- この商品を含むブログ (33件) を見る