受け手としての自分
昨夜は最終のバスに乗れて午前1時半過ぎに帰宅。でもその日のうちに帰れたので良かった。そして今日からまた1週間のはじまりだ。今週はプロモーションもないので少し気持ちはのんびり出来る。
昨日お台場からの帰りに一緒に帰った方との話に衝撃を受けて、そして彼女の活動を聞いてぐっと足の底から持上げられるような力を感じた。去年の一年間と言うのはずっと音楽の受けて側としての自分を考えてたような気がする。その前の年はちょっともう放り投げてもいいかなと言う心境だったことも在るほどだ。自分が発する側ではない事という事実に諦めのようなものを感じていた。でも昨年ののパニスマ吉田さんの日記とか、昨夜聞いた彼女の話とか受け取る側としての自分ももっと毅然としてていいんだと再確認させられた。
今日家に帰って新年はじめてイースタン吉野さんの日記を見たらまさに「受け手」なる言葉が出てきた。
創作の基本的命題は「受け手を力づける」事ではない。
まして「必要な需要に対する供給」であってはならない。
またしゃきっとさせられたなあ。
受けて側が発すること、受けて側におもねる事はリンクしない。受けて側が何を求めてるかではなくて自分のやりたいことをやってください。まさに受けて側はそれをもとめている。(誰にむかって言ってるんだか・・・)
自分も受けて側の自分をどんどん模索していこう、貪欲に。
「朝に生まれて夜に死ぬ」のビデオを何回も見てしまった。
今日まで俺は色んな事を沢山、諦めてきた。
しかし、
大事な事は一つも、何一つ、諦めてない。
勝負はまだまだ、これからだ。バッチコイ2010年。
もう本当にかっこよいなあ!