小川国夫「虹よ消えるな」

 しばらく前に買っていた本。ひっそりと読まれるのをまっていたようなたたずまい。小川さんはもう亡くなられているのだけれどその小川さんがもうすでにいないお祖母さんやお母さんの話を書いていて、書かれている人も書いている小川さんももうこの世の中にいないのにそれを読んでいる自分がいる。時間ということと死ということ。本の中に老年になってからの小川さん、若い頃の小川さんがいる。(後にかかれた文章であっても)自分は何処に存在するのか、今この時間にか、だけど過去の中にも存在している。

 やがて年老いたその幼児は、六歳の時だった一ヶ月を一緒にすごした彼女を通して、悟ることがあるのです。今や私は忘却の霧のなかから、多くの宝を呼びもどしている、これは退行ではなくて、帰還だ、そのうち私は、自分の生涯よりもはるかに広い時間の中に自分を解きはなつことができるだろう。

−しかし、それは違う。ぼくは旅をするのは自分を忘れるためだった。逃避だったんだ。
−逃避ね。・・・・・だがどこまでも逃避し続ければ、それが君の生きた証明になるんじゃないのか。
−そんな日が来るかしら。気が遠くなるような話だね、と私は笑ってしまった。


虹よ消えるな

虹よ消えるな